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「社会と数学の架け橋」=数学月間事始めと片瀬豊さん

投稿日時: 2023/03/10 システム管理者

片瀬さんが「小林昭七さんが久しぶりに帰って来る.集まらないか」と竹内さんを電話で誘ったのは,2004年春のまだ寒い時節だった.神田の鮨屋(片瀬の俳句仲間)に集まったのは,片瀬豊,小林昭七,山崎圭次郎,竹内淳実の4名.この場で,小林さんより「数学月間」MAM(Maths Awareness Month)の話が出たという(竹内の証言).
米国のMAMは,毎年4月(1998年までは週間)に実施される.上院の共同決議(1986年4月14~20日を数学週間とする)に基づくレーガン大統領宣言でスタートした.レーガン宣言は格調高く,「およそ5千年前に始まった数学的叡智は進歩を遂げ,今日の社会を支えている」と述べ,すべてのアメリカ人に対し,数学と数学的教育の重要性を実証する活動への参加を要請している.
米国が国家的行事のMAMを決断した背景には,国民の数学力の低下で,産業力も低下するとの焦りがあったといわれる(小林昭七「顔をなくした数学者」).
1950年代の日本は,Dr. Demingの品質管理手法を,TQCやQCサークルに発展させ,生産性向上を達成していた.1980年NBC放送はIf Japan Can, Why Can’t We?と呼びかけ,Dr. Demingのセミナーが展開されたが,さらにこれを数学全般の啓蒙MAMへと発展させたのは米国の叡智であった(竹内の証言).
日本の数学月間の期間をπとeに因み7/22と8/22と発案したのは,山崎圭次郎とのことだ(片瀬の証言).後年のことだが,筆者もこの鮨屋で,片瀬さん,小林さんと同席し,小林さんからバークレーの地域数学サークルの話を伺った.
米国MAMは,数学系学協会が参加するJPBM(Joint Policy Board for Maths)が,毎年,社会を反映した数学テーマを選定し,4月に種々の数学イベントが展開される.国民からの事後評価も受ける.時局の数学を,種々のレベルで学習できるウエブ・サイトが充実し,そこにエッセイや論文が集積され,数学を基礎から最先端まで,学生が独習できる優れたガイドになる.
片瀬さんは,日本版JPBMが国家的行事として数学月間を展開すべきだと考えていた.「数学月間」活動は,数学同好者の内部にとどまらず,数学が係わるあらゆる分野を横断し,一般市民に働きかけねばならない.数学(論理)が社会を支えている事例に足場を置き,数学への共感を獲得することを目的としている.
マーフィーの法則で,「言葉が通じなければそれは数学」と定義さている.理系でも数学と結びつきの薄い分野に生徒が流れ,数学まつり教材も数学教育に活かされていない.「数学によってのみ外界(森羅万象の法則の起源)が認識できる(デカルト,ホッブス)」のだが,数学は避けられ嫌われている.数学への共感が得られない原因は,数学の孤高姿勢にある.完成した数学体系を学べというのではなく,現場の現象に数学論理を見出し適用して見せることだ.完成した抽象論理にもそれが生まれた源泉があったはずだ.数学者でない一般の社会の共感を得るには,数学は物理学の一部であると考えた方が良い.
筆者が片瀬さんに出会ったのは,2005年(片瀬さんの提案で,日本数学協会が7月22日~8月22日の一月間を「数学月間」と定めたとき),片瀬さんは,2018年8月8日に88歳で逝去(奇しくも8の5つ並び)したが,片瀬さんの寄付金でNPO法人数学月間の会がスタートした.小林昭七さん(2012年8月29日に逝去)追悼会で俳人片瀬さんの詠んだ俳句を紹介しよう「君は逝く 世界に虹を 渡しつつ」.
(たに・かつひこ/NPO法人数学月間の会理事)